10/05/20

樋口康雄さんからのメール

CD『So Far Away 〜たくき よしみつSONGBOOK1』は、プロモーション用という意義が第一義なので、あまり多くの人に謹呈しなかった。
でも、「30年かかった宿題」を見てもらいたいと思う人が何人かいる。30年前の僕を知っている人たちだ。
大学に入ったのが1974年。36年前になる。
大学の4年間は、レコードデビューするための猶予期間ととらえていた僕は、すぐに活動を始めた。
家庭教師や水質汚染調査のアルバイトで稼いだ金をほとんど全部音楽に注ぎ込みながら、デモテープを録り、レコード会社などに送りつけ続けた。
上智には、当時僕が心酔していた作曲家・樋口康雄さんがいるはずだった。なんとか樋口さんとコンタクトを取れないかと思った僕は、学務部に押しかけて「経済学部の樋口康雄さんの住所を知りたい」と申し出たのだが、樋口さんは自主退学した後だった。
音楽の仕事が忙しくなり、大学の講義に出ることに意味を見いだせなくなったのだろうか。
少し落胆したものの、なんとか住所を教えてもらい(そういう時代だった)、長い手紙を書いた。
樋口康雄という作曲家にどれだけショックを受けたか、自分もこれから作曲をしていきたいと思っていて活動中である、なんとかご指導いただけないか……みたいなことを書いたのだろうと思う。

樋口さんからは短い返事をいただいた。「ぼくはアメリカのMCAという音楽出版社と契約しているので、日本での事務所は……です」というような内容だった。
その「MCAミュージック」という事務所に、またまた勇気を出して電話して、デモテープを持って押しかけた。
その後、樋口さんと直接コンタクトがとれて、フィリップスレコード(日本フォノグラムのレーベル)のスタジオでデモテープを録ろうということになった。
そのときのメンバーは、樋口さんがピアノとコーラス、僕が生ギターとヴォーカル、バンドで最後まで残ってくれた親友のてっちゃんがベースとエレキギター兼任とコーラス、という構成。
スタジオで4曲、デモテープを録った。僕の曲を樋口さんがアレンジしたものを3曲(『時の流れに』、『エイプリルダンサー』、『スーパースターが死んだ朝』)そして、樋口さんが作曲した『花盗人へ』という曲だった。
そのデモテープは結局日の目を見ることはなく、僕にとって夢のような即席の3人組バンドは、まさに1日限りの白日夢になった。

その後、僕は気が合わないが声のきれいな2年後輩Nを誘ってデモテープを録り始めた。
Nはプロになるという僕とは距離を置き、「そんな怖いことできないですよ」と言い続けていたが、樋口さんに聴いてもらったNとの新しいデモテープがもとで、今度はキングレコードに持ち込んでくださり、キングのスタジオで、Nと二人だけでデモテープを録った。生ギター2本だけの一発録り。
そのデモも失敗して、樋口さんとは疎遠になってしまった。

大きなチャンスが訪れたのはその後だった。
それも、CBSソニーとビクターという大きな会社から、ほぼ同時に話が来た。
そのチャンスをつぶしてしまったのが30年前のこと。その後の30年間、僕はずっと、あのとき失ったものを取り戻したいとあがき続け、取り戻せないまま歳を取った。

30年前にやり残したことをやるという「宿題」は、あの時間を共有していた人たちに送った。
てっちゃんや樋口さんも、もちろん含まれている。

樋口さんから、メールをいただいた。

先日、僕が初めて樋口さんに出した手紙が実家から出てきて、それを持ち帰ってきて手元に置いてあったところ、そこに僕から「30年かかった宿題です」というメッセージが添えられたCDが送られてきた、という内容だった。
僕からの手紙はノート8ページほど書かれていて、日付は「1975.8.29早朝」となっていたそうだ。

メールには写真も添えられていた(↑)。
茶色くなった35年前の手紙が写っている。ノートの切れ端に書いていたらしい。そういえば、あの頃はあまり便箋というものを使わなかったような気もする。文面も赤面ものだろう。

助手さんはこれを『プライミーバル』みたいな話ね、と言った。
NHKで再放送されているイギリスのSFドラマだ。「時空の裂け目」ができて、そこから太古の生物(お決まりの恐竜とか……)が現代に紛れ込んでくるという話だ。
30年前にビクターで録音した曲を30年後にリメイクして自主制作し、そのCDを30年前に別れたままの人に送ったら、その人のもとで、30年前の僕の分身(手紙)と一緒になった。
なるほど、これはまさに時空の裂け目を抜けたような話だ。

この曲を樋口さんと一緒に録音したてっちゃんからもメールが届いた。

六本木のスタジオ、思い出します。ベース、下手だったよなー、と。
エイプリル・ダンサー、弾いて見せてくれたピコさんの姿まで、連鎖反応で浮かびます。
洗足の2Fの豪華な応接間みたいなとこで、軽やかに弾いてくれましたねー。


そうそう。フィリップスでデモテープを録る前、樋口さんのご実家(東雪谷)で、3人で練習をしたのだった。
それまでの人生で経験のない(つまり、入ったことのない)レベルの豪邸で、通された2階の広い部屋には、スタインウェイのグランドピアノが置いてあった。鍵盤は象牙と黒檀でできていて、驚くような軽さで反応し、これまたとてつもなくいい音が部屋に響き渡った。
ああ、これが本当のピアノの音というものなのかと、ショックを受けたものだ。

あの当時、もう少しどっしりと構えていられたら、別の人生を築けていたと思う。
誰かの真似ではなく、もっと自分の個性に自信を持っていたら。
そして、信頼できる仲間を大切にしていれば。
いくつもの、タラレバが今でもべっとりと頭の中にこびりついているが、そういうものを吹っ切るためにもSONGBOOK1をまとめたのだから、これ以上昔話をするのはやめよう。
ただ、本当に時空の裂け目を抜けてCDと手紙が行き来したような、不思議な感覚を味わえたということだけ、書き留めておこう。



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